(写真撮影:Prem Niket)
多くの門信徒さん、友人が集い、
多くの門信徒さん、友人が集い、
夜7時、和蝋燭の灯りに照らされた本堂・・
幽玄な雰囲気の中、
お経と横笛、太鼓、パーカッション、ギター、鐘の音、歌、詩の朗読など・・
感謝や慈悲のエナジーと音の融合一体空間がそこにありました・・
まさに、阿弥陀の光が闇を照らし・・
救いの・・覚りの・・瞬間がそこにありました。
法要の中で朗読された詩(うた)です。
目覚めてこそ
光を得ることできぬなら ただ闇の中に蠢き
夢の如き生を紡ぐのみ
深き昏睡 無限に続くとも判らぬ 狂気のような悪夢
その暗がりの中 救われようと藻掻き足掻いて
蜃気楼の中に見つけた幾多の慰め
希望・夢・努力 など
諸行無常の大河に浮かび 沈み 時に速く 時に遅く
流れ流れて 真実の大海に消え失せていく
数多の煩悩 怒り 悲しみ 憎しみ 悲嘆やら
権力 支配 金銭 優越への飽くなき欲望
切望 願望 数えて尽きぬ砂の如
自我と自我 互いに争い 闘い ひたすら苦悩の中に埋没し
重く 暗く ひしめき合うはこの娑婆世界
自ら傷つき 他者を傷つけ 無間の地獄を走り回る
無用の物を作り出し 殺戮の遊具を弄ぶ
怒りの儘に殺し合い 深層の底に眠る心の焦土が現実のものとなる
弥陀に聴くことできぬなら
ただ今此処で観てある仏を観ること能わずば
目覚めることのできぬなら 差取りを得ることできぬなら
吾仏なりと正しく想起できぬなら
自らの本性を思い起こすこと叶わぬなら
喜びこそ本性 慈悲こそ本然 理由無き法悦こそ吾が踊り
このあるがままの吾を忘却の彼方に葬り去るというのなら
ただ今此処に降り注ぐ 阿弥陀の光
無限の光を一瞥もせずにいるのなら
ただひたすら盲目の如く 煩悩の働きに身を任せるのなら
一つの砂粒の如き 幾ばくかの良心を頼りに
この世の善を積もうとも
怒りと共に正義を信じ
全力もて悪しきものたちと雄々しく闘おうと
闇の変わることはない 地獄の変わることはない
光をもたらす以外(ほか) 意識をもたらす以外(ほか)
悪しきと思うことに異を唱え その全力を捧げて大いに叫ぶとも
この身 あの身が救われ
この世が浄土の如くなるというは
まさしく戯れ言 譫言(うわごと) 夢のまた夢 幻のまた幻
内の世界が変容すれば 外の世界自ずと変わる
内が変わらずば 外は変わらぬ
光無く 意識無く 自覚無く 外が変わるように見えるとするなら
安心無く 喜び無く 差取り無く 外の世界が変わるとするのなら
それはただの見せかけ 虚仮の産物
それは同じ闇の中から出ずる作り物 同じ病に変わりなし
不幸な男が 不幸な女に変わる如き
報われぬな犬が 報われぬ人間に変わる如き
海の戦いが 陸の戦いに変わる如き 怪我が病気に変わる如きもの
今こそ求める時 まさに只今こそ自らの本性を求める時
識る時は今 無限に広がる栄光 無限に広がる喜びの踊り
それこそまさに吾が自然(じねん)
これこそ これこそ! 喜びの中の喜び 安心の中の安心
この心こそ この光こそ この喜びこそ
この歌こそ この踊りこそ・・!
闇に沈むこの娑婆世界に光をもたらし
美しき様に変容しうる究極の鍵
阿弥陀の声 疾うに届いていたことを識る人
久遠の慈悲こそこの世の有り様 これを識る人
大安心に寛ぎながら その臨在 その光明 まさに此処に輝いて
この娑婆世界は 新しく 美しく変容する
多くの者が求めては挫折してきた
多くの者が夢見ては絶望してきた
愛・慈悲・歓喜・そして笑いに溢れる 新しき世界
諸行無常をも喜び 軽やかに踊るように旅をする新鮮な意識
これこそ“これ” これこそ“ひかり”
これこそ“目覚め”これこそ“真理”
目覚めてこそ 目覚めてこそ
吾を識り あるがままの有り様を識る
観照するもの顕れ 光おおいに地獄を照らす
その時まさに 闇に蠢くこの身この娑婆
まさしく変容を遂げ 吾は法悦の踊り手 此処は法悦の浄土となろう
合掌
なむあみだぶつ
合掌
なむあみだぶつ