ラベル 行事 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 行事 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

4/01/2022

永代経22 動画配信


 

4月2日(土)午後1時半より、恒例の春の法要である永代経法要が修行されました。

法要の様子はライブ配信を行い、現在は動画として公開されています。
ご試聴ご希望の方は以下のリンクをクリックもしくはタップしてご覧下さい。

https://youtu.be/qBSXJXvO5ms

1/08/2022

正月会法要22アーカイブ

 


令和4年度長徳寺正月会法要は1月2日と3日に開催いたしました。
ご参拝と多くのご奉仕を頂き、誠にありがとうございました。


1月3日午後2時の法要動画がアップされています。
https://youtu.be/ZYKaGOFKo-U

ご試聴ご希望の方は上記URLをクリックまたはタップしてご覧下さい。

 合掌

 

 

 

 

11/20/2021

報恩講法要アーカイブ配信URL



令和3年度の報恩講法要は 11月20日(土)に執り行われました。
法要の様子はYouTubeにてアーカイブ配信をしております。
URLは以下の通りです。

視聴ご希望の方は下記のURLをクリックまたはタップして下さい。

 https://youtu.be/RB9IWa7a_h0

 

←携帯からはこのQRコードからもアクセスできます

3/31/2021

永代のお祝い


 
今年度の永代経は4月3日に修行されました。

法要の動画はYouTubeにアップされています。
URLはこちら→https://youtu.be/GUGPqprtz6o


「永代のお祝い」

祝祭だ

「始めなき始め」より存在し続けている この生命を喜び祝う 

眼を見開いて本来の吾を思い起こす大いなる歓喜のお祭り

遙か昔より先祖達が紡ぎ出してきたこの命の流れ・・それを喜び それを祝う

迷妄の厚い雲は幻想を映し出し 自我を夢見に引きずり込んで行く

しかしひとたび その眼を見開けば 

マコトの吾を思い起こし その何ものにも触れられない至福に酔うだろう

まさにこれが自然の利益
 
忘れ去ってしまった「吾」 

しかし

一度も失われたことはなかったこの生命は 

今この瞬間も活き活きと踊り歌っている

目覚めの時はまさに今  

仏はどこか遠くにいるわけではない 

仏は今まさに「ここ」にいて 活き活きと踊っている 歌っている 

他人事ではない まさにあなたのことだ まさにわたしのことだ

さあ喜び歌おう!さあ喜び踊ろう!

欣喜雀躍の時は まさに まさに 今だ!



12/31/2020

2021年正月会法要のライブ配信


 

2021年の正月会法要は、1月2日(土)と3日(日)に執り行われました。
https://www.choutokuji.net/shougatue21.html

2日の午前と3日午後の法要動画をYouTubeにアップしてあります。

ご試聴ご希望の方はこちらのURLにアクセスしてください。

2日(1日目)午前10時
https://youtu.be/6M24VoalT_E

 3日(2日目)午後2時
https://youtu.be/adfiHnFXI8U

 

11/19/2020

報恩講20 ネット配信

今年も報恩講は11月21日(土)にお勤めされました。

以下のURL(YouTube)でご覧頂けます。

 https://youtu.be/o5aEzJhw5Nw

 時節柄、どうぞご自愛くださいますよう。

                    合掌

 

 

10/07/2020

Playful Meditation! 〜お寺で楽しい瞑想会〜

 

 瞑想会を開催します。名付けて「Playful Meditation !」

プレイフルメディテーション・・直訳すると遊び心に満ちた瞑想という感じでしょうか。

眼を閉じて静かに座る・・瞑想というものと縁が無かった方には、あまり体験をする機会のないことかもしれません。

人間、特に私たち現代人はあまりにも自分自身というものからかけ離れ、自分から見た外側ばかりに気を取られながら生活しています。

人間関係をはじめ、あらゆる環境に支配されながら人生の殆どの時間を過ごしていると言っても過言ではないでしょう。
それを意識するしないに関わらずストレスを溜め、心や身体に不調をきたし、終いには病気になってしまうということもあります。

時には眼を閉じて自分自身を意識するということは、大いにストレス解消の手助けになると思います。

禅や瞑想というと何か真面目くさった修行のようなイメージがあるかもしれません。

しかしその本来の目的は自分自身を意識し、忘れてしまった本当の自分というものを思い起こすテクニックなのです。

生まれながらに備え持っている純粋な自分・・、今ここに生きている本当の自分に触れる時、人はゆったりと寛ぎ大いなる安心感を得ることができます。

この瞑想会では音楽やガイド瞑想技法を使って「遊び心」「気楽さ」や「楽しさ」を基本にしながら、徐々に「内なる世界」を体験していきたいと考えています。

初めて瞑想を体験してみたい方は勿論のこと、体験はあるけれど今ひとつ腑に落ちるものがないと感じている方にもお勧めいたします。

このブログを読んで頂き、何か惹かれる感じがあったり、よく分からないけれども少し興味が湧いてきたという方、是非参加をお待ちしております。 合掌

=====================

「Playful Meditation」〜お寺で楽しい瞑想会
日時:2020年10月25日(日)午後3時より(開場2時半) 5時ごろ終了予定


会場:長徳寺観照堂 一階ホール

https://www.choutokuji.net/access.html


横浜市都筑区牛久保西3-9-1
最寄り駅:横浜市営地下鉄センター北駅徒歩15分

バス:センター北駅より鷺沼駅行き「長徳寺前」下車一分
田園都市線鷺沼駅より④系統センター北駅行き、
またはセンター南駅行き 「長徳寺前」下車一分

ナビゲーター:大乘(Daijyo)、コスマス・カピッツア(Kosmas Kapitza)

参加費:ドネーション
(できれば2000円以上お願いします。お金のない方は無料でけっこうです)

備考:会場はビニールタイルの床です。
イスをお使い頂けますが、床に座りたい方はヨガマットなど敷くものをご持参ください。

参加申し込み&お問い合わせ:
メールにてinfo@funkymonktemple.comまでご連絡ください
尚、定員になり次第〆切とさせていただきます。

こちらにも情報があります→https://funkymonktemple.com/playful-meditation



8/15/2020

お盆の動画

 

本年度の盂蘭盆会法要は8月13日、14日に執り行われました。

当日ライブ配信致しました動画は、以下のリンクにてご視聴頂けます。

 

法要日程

第一日 8月13日(木) 
12時(新盆法要)https://youtu.be/K8eZK4Pt4DM

第二日 8月14日(金)

10時(盂蘭盆会法要) https://youtu.be/ilrdQyj1lh0
12時(新盆法要)https://youtu.be/YBWUfzKWxdU
14時(盂蘭盆会法要)https://youtu.be/B1RXVqrHh3A

5/31/2020

6月の観照堂休館日のご案内



長徳寺門信徒並びに寺院、墓地参拝者の皆様へ

新型コロナウイルス感染拡大防止その他諸事情のため、6月も観照堂の休館日を設けさせて頂くことになりました。

以下の日を休館といたします。どうぞご理解のほどお願い申し上げます。
尚、休館予定日でも葬儀など仏事が入りました際には開館させて頂く場合があります。
合掌

  • 1日(月)
  • 2日(火)
  • 8日(月)
  • 19日(金)
  • 23日(火)
  • 24日(水)
  • 29日(月)
  • 30日(火)





8/10/2019

横笛法要


長徳寺ではお盆法要の最後の日に「御満座横笛法要」という行事があります。
幽玄な雰囲気あふれる法要です、平たく言うと「お経と横笛のセッション」というところでしょうか・・・。
今年も8月15日の夜7時から本堂を殆どロウソクの明かりだけにして幽幻な雰囲気のなか執り行われます。
法要ではギターの弾き語り、パーカッションの演奏や福原清彦氏の笛をバックに、存在とブッダたちによろこびと感謝を捧げる詩「讃詩」などを朗読いたします。
どうぞご参加ください。
https://www.choutokuji.net/urabone19.htm


8/22/2017

救いとは












------------------------------------------------------------

「救いとは」
「救い」という言葉。百科事典には、「超自然的な存在や力もしくは自己の精進努力によって、生理的な病や心理的な苦痛から脱却すること。」と書かれています。
肉体的もしくは精神的な苦境を脱して健全な状態を得る事とも言えるでしょう。

それでは仏教で言うところの救いとは何か。救いと言うからには何か救われなければならない不幸のようなもの、事象があるはずです。
現実世界を体験してゆく中での不幸・・、病気であったり、貧困であったり、仕事や対人関係の軋轢、戦争や災害等々、枚挙に暇が無いくらい、余りにも多くの事柄を挙げることができるでしょう。

そして、これら「不幸たち」に対して我々はそれをコントロールする術を持たず、幸せでありたいという私たちの願いを無視するように「不幸たち」はある瞬間突然に情け容赦なく降りかかってきます。

現世利益を説く宗教はこれらの不幸達を軽減もしくは無害化するべく、何らかの方法を教えますが、未だこの不幸達を見事に消滅させたという結果を私たちは見るに至っていません。
勿論、一時的に奇跡のような事例は希に起こることもあるかも知れませんが、永続的にこれらの不幸が消えて無くなったということは未だ起こっていないというのは誰の目にも明らかです。

一方、科学の世界に目を向けても、その道は未だ半ばであり、人類の不幸を皆無にするということは夢のまた夢ですし、むしろ人間の内面に於いて人類奉仕に欠かせない愛とか慈悲といった心が著しく不足しているということもあり、返って人間生活にとって危険な状況を作ってしまっているというのが現状です。

仏陀はこの世(現世、娑婆)を「苦の世界」として捉え、生老病死は避けられないものであると明らかに観て、この変転する「苦の世界」を超えた絶対永遠の何かを探し求め、修行の旅の最終地点でそれを発見しました。

それは自らの本当の姿を思い起こすことでした。それは「仏性」と呼ばれる私たちの本性であり、まさに永遠なるものでした。生まれては消えてゆく儚いものであるこの肉体や精神は、その仏性に属する便利な道具であり、自分自身そのものではないという真理を理解するに至ったのでした。

自分は生まれたこともなく死んだこともないという単純な事実、自分は永遠なるものだという文字通りの「自覚」を得たのでした。

そのサトリの眼に写しだされた娑婆世界(現世)は、生まれては消えてゆく一時的で儚く、移ろいでゆく諸行無常の世界でした。
肉体や精神、そしてその周りで起こり続ける現象は、スクリーンに映し出されたドラマのようなものであり、夢のようなものなのだということをつぶさに観ることを得たのです。

心は安楽で満たされ究極の歓喜を味わい、遙かに苦の世界を超え、まさに崩れざる永遠なる大安心、サトリの境地に安住したと言われています。

仏教では自らの本性を忘れ去って眠りこけ、悪夢を見ている状態を煩悩具足と言います。それは不安定で不確かな、一筋の光も届かない漆黒の闇に住んでいるようであると表現します。

その暗がりのような眠りの状態から目覚め、一度たりとも離れたことのない浄土、絶対の安心世界を思い起こす。長きに渡る夢から覚め、本当の自分を思い出すこと、眠りの中で忘れてしまっていた永遠の存在である吾を認識し、生まれ親しんだ家に帰り着く・・
これを仏教では「救い」と言い、サトリを得るとも言います。

この本来の自分を思い起こさない限り、夢のようなこの世界で一時的な幸福や快楽を得ることは出来るかも知れませんが、次の瞬間に訪れるかもしれない予期せぬ不快な出来事に翻弄され、振り回されることは避けられないでしょう。
善悪、幸不幸は同じコインの裏表、登りがあれば下りもある。人生あざなえる縄の如し等と古来から人々は真理の側面を言い伝えてきました。善悪、好悪に翻弄される世界から、絶対的安心の世界へ・・これが仏教で言うところの救いということになります。

肉体は死すべきものであり、儚いもの。しかし、「本当の吾」は永遠不滅なものです。この理解は、私たちの人生をより軽快に、より遊び心に満ちた明るく幸せなものに変容させる魔法と言えるかも知れません。

私たちがいつも称える南無阿弥陀仏・・永遠絶対なる自分を思い起こさせてもらいたいという心底からの願いを表した言葉です。
念仏を唱えると極楽浄土へお参りできるという本当の意味は、まさにこの大安心であるサトリの世界、究極の救いの世界に住むことが出来るのだという意味なのです。

迷い苦しむのは欲に満たされた「心」です。こうなりたい、ああなりたい、こうなるべき、ああなるべき・・という閉ざされた思い込みから出てくる「欲」が迷いであり、あらゆる不幸の元です。
「心」が迷っているのです。それから離れることができれば、「本当の吾」が今此処にいることが明白になることでしょう。それは「生まれたこともなく死んだこともない永遠なる生命」。まさに本当の自分です。

合掌 
なむあみだぶつ






8/08/2016

おみがきご奉仕


お盆に先がけ、本堂の仏具を磨く「おみがき」です。
年四回の法要の前に、寺の婦人部と世話人さんが境内の清掃と仏具のおみがきご奉仕をしてくれます。

今年も良い盂蘭盆会の法要が迎えられそうです。

なんまんだぶ

11/29/2015

報恩講2015



 11月21日、恒例の報恩講法要が行われました。

「深い感謝」が湧き上がる念仏となって響き渡っていました・・。

なんまんだぶつ
















10/10/2015

横笛法要のビデオ

今夏の盂蘭盆会御満座横笛法要のビデオをYouTubeにアップ致しました。
どうぞご覧下さい。


動画撮影:Prem Niket
撮影場所:長徳寺本堂
日時:2015年8月15日 午後7時
導師:平塚大乘
結衆:平塚大恵
結衆:祝覚道
横笛:福原清彦
ギター:山田勳生
打楽器:コスマス・カピッツア

1/03/2015

正月会法要

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

1月2日、3日は、長徳寺の正月会法要です。
大勢のお参りを頂き、有り難うございました。

阿弥陀仏と共にいる喜び・・
新たなる年を迎えた喜び・・
本当の自分を思い起こす喜び・・

なむあみだぶつ 合掌






11/10/2014

おみがき奉仕


今日は、仏具の「お磨き」と境内の清掃奉仕がありました。
年に三回、4月の永代経、8月のお盆、そして11月の報恩講の一週間前くらいには、婦人部と世話人の有志の皆さんが集まって、ご奉仕して下さいます。
寺庭もきれいになり、仏具もピカピカになりました。
有り難いことです!

今年の報恩講は11月15日(土)に執り行われます。
こちらに情報があります。
http://www.choutokuji.net/houonko14.html

なんまんだぶ 合掌

8/25/2014

盂蘭盆会横笛法要


今年も8月13日〜15日に盂蘭盆会法要が執り行われました。
お盆の最終日、15日夜7時からは恒例の横笛法要です。














(写真撮影:Prem Niket)

多くの門信徒さん、友人が集い、
夜7時、和蝋燭の灯りに照らされた本堂・・
幽玄な雰囲気の中、
お経と横笛、太鼓、パーカッション、ギター、鐘の音、歌、詩の朗読など・・
感謝や慈悲のエナジーと音の融合一体空間がそこにありました・・
まさに、阿弥陀の光が闇を照らし・・
救いの・・覚りの・・瞬間がそこにありました。

法要の中で朗読された詩(うた)です。

目覚めてこそ

光を得ることできぬなら ただ闇の中に蠢き 
夢の如き生を紡ぐのみ
深き昏睡 無限に続くとも判らぬ 狂気のような悪夢
その暗がりの中 救われようと藻掻き足掻いて
蜃気楼の中に見つけた幾多の慰め

希望・夢・努力 など
諸行無常の大河に浮かび 沈み 時に速く 時に遅く
流れ流れて 真実の大海に消え失せていく
数多の煩悩 怒り 悲しみ 憎しみ 悲嘆やら
権力 支配 金銭 優越への飽くなき欲望
切望 願望 数えて尽きぬ砂の如

自我と自我 互いに争い 闘い ひたすら苦悩の中に埋没し
重く 暗く ひしめき合うはこの娑婆世界
自ら傷つき 他者を傷つけ 無間の地獄を走り回る
無用の物を作り出し 殺戮の遊具を弄ぶ
怒りの儘に殺し合い 深層の底に眠る心の焦土が現実のものとなる

弥陀に聴くことできぬなら
ただ今此処で観てある仏を観ること能わずば
目覚めることのできぬなら 差取りを得ることできぬなら
吾仏なりと正しく想起できぬなら 
自らの本性を思い起こすこと叶わぬなら

喜びこそ本性 慈悲こそ本然  理由無き法悦こそ吾が踊り
このあるがままの吾を忘却の彼方に葬り去るというのなら
ただ今此処に降り注ぐ 阿弥陀の光 
無限の光を一瞥もせずにいるのなら
ただひたすら盲目の如く 煩悩の働きに身を任せるのなら
一つの砂粒の如き 幾ばくかの良心を頼りに 
この世の善を積もうとも

怒りと共に正義を信じ 
全力もて悪しきものたちと雄々しく闘おうと
闇の変わることはない 地獄の変わることはない
光をもたらす以外(ほか) 意識をもたらす以外(ほか)
悪しきと思うことに異を唱え その全力を捧げて大いに叫ぶとも
この身 あの身が救われ
この世が浄土の如くなるというは
まさしく戯れ言 譫言(うわごと) 夢のまた夢 幻のまた幻

内の世界が変容すれば 外の世界自ずと変わる
内が変わらずば 外は変わらぬ
光無く 意識無く 自覚無く 外が変わるように見えるとするなら
安心無く 喜び無く 差取り無く 外の世界が変わるとするのなら
それはただの見せかけ 虚仮の産物
それは同じ闇の中から出ずる作り物 同じ病に変わりなし
不幸な男が 不幸な女に変わる如き
報われぬな犬が 報われぬ人間に変わる如き
海の戦いが 陸の戦いに変わる如き 怪我が病気に変わる如きもの

今こそ求める時 まさに只今こそ自らの本性を求める時
識る時は今 無限に広がる栄光 無限に広がる喜びの踊り
それこそまさに吾が自然(じねん)
これこそ これこそ! 喜びの中の喜び 安心の中の安心
この心こそ この光こそ この喜びこそ
この歌こそ この踊りこそ・・!
闇に沈むこの娑婆世界に光をもたらし
美しき様に変容しうる究極の鍵

阿弥陀の声 疾うに届いていたことを識る人
久遠の慈悲こそこの世の有り様 これを識る人
大安心に寛ぎながら その臨在 その光明 まさに此処に輝いて
この娑婆世界は 新しく 美しく変容する
多くの者が求めては挫折してきた 
多くの者が夢見ては絶望してきた
愛・慈悲・歓喜・そして笑いに溢れる 新しき世界
諸行無常をも喜び 軽やかに踊るように旅をする新鮮な意識
これこそ“これ” これこそ“ひかり”
これこそ“目覚め”これこそ“真理”

目覚めてこそ 目覚めてこそ
吾を識り あるがままの有り様を識る
観照するもの顕れ 光おおいに地獄を照らす
その時まさに 闇に蠢くこの身この娑婆
まさしく変容を遂げ 吾は法悦の踊り手 此処は法悦の浄土となろう

合掌
なむあみだぶつ